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沖縄密貿易の女王 [雑談]

終戦後、徹底した爆撃に晒された沖縄は極端に物資が不足していた。米軍によって本土と切り離された政府が設立された沖縄は、本土との「貿易」もままならない。

窮した沖縄の民衆は、本土より近く物資の豊富な台湾との密貿易に活路を求め、戦場に撒き散らされた砲弾の鉄くずと台湾の食料をバーターしだしたのだ。

漁船を即席の貿易船に仕立て、命がけで海を渡る。生きて帰えれば莫大な富がもたらされ、中継地の与那国島は推定二万人あまりの人々でにぎわったという。現在の与那国の人口が1700人程度であるから、この密貿易が想像を絶する活況であったことが伺える。

1946年から51年まで続いたこの密貿易時代、命知らずの海の男たちを取り仕切っていたのが、石垣島出身の小柄な女性ナツコであった。

ウラ経済の主であったため、ナツコに関する公式記録は少ない。 「ナツコ―沖縄密貿易の女王」の著者である奥野修司氏は、当時の関係者に会い記録をまとめる。

密貿易時代の主役たちはもはや高齢で、その作業は時間との戦いでもあった。取材中に鬼籍に入ってしまったものも少なくない。

しかし、密貿易時代のことをどの老人たちも生き生きと語る。基地の見返りに本土からの莫大な補助金に依存する今の沖縄に対し、あの時代、沖縄の民衆はたくましく自分の足で立っていた―そんなプライドが見え隠れしているようだった。


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